さよなら独身貴族 西部劇編

西部劇、戦争映画、時代劇について書いていくブログ。たまに書評。

ペキンパー&マックイーンの『ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦』

サム・ペキンパー監督の『ジュニア・ボナー』は1970年ころのアリゾナ州を舞台にしており本来の意味での西部劇ではないけど、マックイーンつながりということで取り上げておこう。雰囲気としては『トム・ホーン』』と『砂漠の流れ者』をブレンドした感じかな。

bosszaru21.hatenablog.com

bosszaru21.hatenablog.com


ロデオ大会で全米各地を転戦するマックイーンは故郷アリゾナに帰ってくる。しかし父が経営していた牧場は兄によって宅地へと変えられようとしている。父と母は別居するようになっていた。こうしてギクシャクする家族だが、再会してみるとやはり家族は良いものだなあとなるのであった。こういうところのペキンパーとルシアン・バラードの描写はとても優しく、寛容だ。

f:id:bosszaru21:20191109164237j:plain


もう古いものは戻ってこないのだなあという諦念そしてやり切れなさを抱えつつロデオ大会へと向かうマックイーンなのであった。そしてそこにはベン・ジョンソンの荒牛が待ち受けていた。

喧嘩でふっ飛ばされて窓ガラスが割れるところでスローモーションみたいな無駄な演出もなくはないが、ロデオのスローモーションはなかなか哀愁があっていい。マックイーンの両親を演じる名優ロバート・プレストンアイダ・ルピノも最高である。特に母ルピノの夫や息子たちを見つめる視線は穏やかでどこまでも包容力がある。こういうところがペキンパーの真骨頂であり、本作をペキンパーの最高傑作とする人も少なくないのだ。興行的にはいまいちだったようだが。

f:id:bosszaru21:20191109164721j:plain


マックイーンは盛りをすぎたロデオスターを演じるが、それを恥じるでもなく、また過去の栄華を誇るわけでもないという難しい内面を見事に自分のものにしている。究極のオナニー映画『栄光のル・マン』を撮り終えて、やりきった感があったのだろうか、演技は円熟の境地に達している。これをマックイーンのベスト・ロールに推す人はけっこういる。僕も本作か、『ブリット』か、『タワーリング・インフェルノ』のオハラハンか悩ましいところだ。

ベン・ジョンソンは数え切れないほどの西部劇に出演した名脇役であり、そして本物のロデオチャンピオンだ。ロデオ大会のパレードで見せる乗馬シーンは本作の見所の一つで、このスローモーションも泣けてくるほど美しい。

カウボーイというものがとうの昔に失くなっているもので、彼らの技芸を競うロデオも見世物でしかない。そういう過去への愛惜を過度にメロウにならないように見せてくれるところが良いし、また西部劇という終わっていくジャンルへの鎮魂歌でもあったのだ。

スティーブ・マックィーンの実質的遺作『トム・ホーン』は優れた挽歌西部劇だった

さて前回に続いてスティーブ・マックィーンの西部劇にいきましょう。

bosszaru21.hatenablog.com

前回は1966年の『ネバダ・スミス』だったが、すでに神話の時代の西部劇と異なりインディアンは敬意を払うべき人々になりつつあった。『トム・ホーン』は1979年の作品で、この10年ちょっとの間にマックイーンは、『ブリット』、『パピヨン』、『タワーリング・インフェルノ』に出演し映画を極めていたが、プライベートでは2度の離婚を経験した。また西部劇というジャンルは時代に呑まれてすっかり変貌していた。スーパースターのジョン・ウェインは『ラスト・シューティスト』という哀しく侘しい作品を最後に亡くなってしまっていた。1970年くらいからヒーローの実像を露悪的に描いたり、残虐性を前面にだすものが増えていた。あるいは挽歌西部劇とよばれる、時代に取り残される男を描く作品もいくつか作られた。『トム・ホーン』はそんな小品であり、マックイーンの実質的な遺作である。

マックイーン演じるトム・ホーンは19世紀末にワイオミング州などで鉄道員、保安官、探偵、牧童などとして活躍した人物で、アパッチ族最後の闘将ジェロニモの降伏の仲介をしたとされる。舞台は晩年の1900年頃で、とある牧場主に用心棒として雇われ、牛泥棒を追い払うことに精を出すという役どころである。馬で牛泥棒を追いかけ回してライフルを撃ちまくる姿は非常にかっこいい。しかし彼を煙たがる人々に濡れ衣を着せられて、、、というストーリーだ。

f:id:bosszaru21:20191106180516j:plain


彼の雇い主など彼を救おうと尽力する人々もいるが、刑死することを恐れず自分ルールを貫き通すところがかっこよくもあり、哀しくもあるというストーリーだ。もはや開拓時代は終わり、都会風の司法が幅を利かせる時代であり、そこにトム・ホーンのような男には居場所はなかったのである。

みすぼらしい服装をはじめ、極力リアルを追求した力作なのだが、興行的には大失敗だったらしい。マイルールを貫徹する男というより、話の通じない残念な発達気味のおっさんと映ったのかもしれない。マックイーンが製作もつとめ演出の細かいところまでこだわったということだが空回りしたのかもしれない。

個人的にも大好きな作品ではあるのだが、1979年はマックイーンほどのスターをもってしても西部劇は稼げるジャンルではなくなってしまっていた。そしてマックイーンはこの後にあらゆる意味で失敗だった『ハンター』に出演したのち肺がんでこの世を去るのである。

この大好きな作品は、嬉しいことにアマゾン・プライムにも入っている。



私が所有しているのはこちらのDVDボックスである。『ブリット』、『ゲッタウェイ』、『シンシナティ・キッド』も入っているので大変おとくである。


スティーブ・マックィーンの数少ない西部劇でありプロインディアン映画の萌芽たる『ネバダ・スミス』

先日はせっかくスティーブ・マックィーン出演作を紹介したので続いてマックイーンでいこう。

bosszaru21.hatenablog.com


ネバダ・スミス』はマックイーン演じる主人公が、白人の父とインディアンの母を惨殺した3人の男を年単位で追い詰めるというものである。母がインディアンなのでモカシンなどの小道具が要所要所で登場する。製作年は1966年で、この時期になるともはや先住民はただの襲ってくる人達だとか倒すべき相手だとかそういう描写はされなくなっている。途中で瀕死のマックイーンを看病するのはカイオワの娘である(おもっこ白人の女優であるが)。

f:id:bosszaru21:20191101175223j:plain

とにかくマックイーンがかっこいい。アクションもいいし、復讐への執念もいい。広大な湿地に囲まれた刑務所からの脱獄は後の『パピヨン』を思わせる。これだけタフな役柄を演じる二枚目俳優は当時はマックイーンのほかにありえなかったであろう。『大脱走』に続いて、『シンシナティ・キッド』、『砲艦サンパブロ』、『ブリット』と出演していたこの時期はマックイーンの人気絶頂期であった。

f:id:bosszaru21:20191101175505j:plain

またアーサー・ケネディカール・マルデンマーティン・ランドーの3悪人も好演。特にマルデンはさすがの貫禄である。

ジョン・スタージェス『荒野の七人』はややチャラい西部劇である

先日に続いてジョン・スタージェスをもう一ついってみよう。

bosszaru21.hatenablog.com


スタージェスは1950年代後半に『OK牧場の決斗』、『ガンヒルの決斗』、『ゴーストタウンの決斗』の決斗三部作を監督し、アクション作家としての名声を確立した。そして満を持した放ったのが1960年の『荒野の七人』である。これはよく知られているように、黒澤明の最高傑作『七人の侍』のリメイクである。もちろん世界の映画史に燦然と輝く『七人の侍』にかなうわけがないのだが、それでもこれはこれでメチャクチャ面白い西部劇なのである。

ストーリーはオリジナルとほぼ同じで、盗賊に悩まされる農民たちがガンマンを雇い自衛するというもの。黒ずくめスキンヘッドのユル・ブリンナー(彼が『七人の侍』に惚れ込み製作した)がまず村人に依頼を受け、ガンマンを募っていく。ブリンナー以外の6人はいずれも成功への登竜門にさしかかっている若手俳優たちである。村へやってきた7人は野盗たちを倒していく。いちおうロマンスとか裏切りとかいろいろあるし。有名な「勝ったのは農民だ」というセリフも出てくる。



f:id:bosszaru21:20191028182642j:plain


見所は、やはり若い6人のかっこよさ、男気、流麗なアクション、エルマー・バーンスタインの勇壮なメイン・テーマといったところだ。


荒野の七人 <特別編> (The Magnificent Seven)


f:id:bosszaru21:20191028182952j:plain

キャラクターの描き分けが『七人の侍』に比べて弱いのだが、そこは俳優たちの個性で乗り切っている。

製作者であり7人のリーダー的な役柄、つまり志村喬ポジションのユル・ブリンナーだが、存在感はさすがであるもののやや押され気味。撮影中はマックイーンの人気に嫉妬していたともいわれる。

最初に仲間に加入するスティーブ・マックィーン加東大介的な立ち位置だろうか。ジョン・スタージェスの『戦雲』に出演して実力を認められ本作でも準主役に抜擢される。ジョン・スタージェスとはこの作品の後に『大脱走』でも仕事をしてついに大スターとなった。本作では寡黙だがシャープなガンマンを演じている。

ジェームズ・コバーンも本作で名を上げた1人。飄々としつつも求道者のようなガンマンで、オリジナルの宮口精二に相当する。彼も『大脱走』に出演し、スターダムを駆け上がることになる。

チャールズ・ブロンソンは薪割りをしているところでスカウトされるところが千秋実っぽい。容貌どおりの無骨なキャラでありながら村の子供たちに慕われる。彼らが父親たちのことをずるい農民だとバカにしたとき、お前たちの父さんほど勇敢な人達はいないと叱責するシーンはあまりにも有名。彼も『大脱走』に出演し、ブロンソン大陸の伝説へとつながっていく。

ロバート・ヴォーンはオシャレで腕が立つが、過去に殺した人間が夢に出てきてノイローゼになっている賞金稼ぎを演じた。しかし最後の決戦で男気を見せる。彼は本作の後は『ナポレオン・ソロ』など主にテレビで活躍することになる。映画ではマックイーンと共演した『ブリット』での嫌味な政治家が印象深い。

ホルスト・ブッフホルツは村の娘と恋に落ちる木村功の立ち位置と、農民出身であり最初は仲間入りを断られるが無理やりついていくという三船敏郎のそれを兼ねた役を演じる。スタージェスはロマンスを描くのは下手とよく言われるが、本作でも唐突な演出で笑わせてくれる。ブッフホルツはその後にハリウッドで大活躍することはなかった。ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』に出演していたらしいが、どこにいたか忘れた。

マックイーンらほどは出世しなかったハリー・デクスターだが、本作では一本筋の通ったキャラクターを演じた。


訃報 八千草薫さんとロバート・エヴァンス

昨日、今日と偉大なる映画人の訃報に接したのでブログに書いておく。
一人目は八千草薫。彼女の出演作はいくつか観ているが、断トツに印象に残っているのが『ガス人間第一号』である。
高校生の頃、ガチのサイキッカーだった私は竹内義和氏推奨ということで鑑賞した。
ガスでできたガス人間と、日本舞踊の家元八千草薫の悲恋の物語である。ガス人間はもちろん人間ではないのだが、八千草薫もこの世のものと思えぬほど美しい。亡くなってもフィルムに美しい姿を永遠に残すことができるのは羨ましいかぎりである。

f:id:bosszaru21:20191029143524j:plain

本多猪四郎監督の作品群の中でも傑出しておりおすすめであるし、アマゾンプライムで観られるのがいいね。


もうひとりはハリウッドの映画プロデューサーロバート・エヴァンスである。ディノ・デ・ラウレンティスとかロジャー・コーマンのようなB級の敏腕プロデューサーというイメージだったが、いまフィルモグラフィーを調べると、『チャイナタウン』とか『ゴッドファーザー』も製作しているんだな。それら以外だと『ブラック・サンデー』が面白い。ジョン・フランケンハイマーらしい大掛かりなテロ映画である。映画館に脅迫状が舞い込んだために日本未公開のいわくつきの作品でもあるが、これまたアマゾンプライムで観られる。便利な時代になりましたね。

西部劇との関連でいうと、私は完全に失念していたのだが、スティーブ・マックィーンの2番目の妻であるアリ・マッグロウの前夫だったことだ。


前妻ニール・アダムズと離婚したばかりのマックイーンは、サム・ペキンパーゲッタウェイ』で共演したマッグロウと恋に落ちて、マッグロウはエヴァンスと離婚して再婚したということである。『大脱走』で共演したロバート・マッカラムの妻であったジル・アイアイランドと略奪婚したチャールズ・ブロンソンといい、スタージェス組は元気だな。

ちなみにマックイーンはニールとの子の親権はとれなかったが、マッグロウは親権はエヴァンスにとられたらしい。なんでもかんでも母親が親権をとる日本とは違うね。
なおマックイーンはマッグロウとも離婚したのち3度めの結婚をしている。3人目の妻バーバラ・ミンティとは添い遂げたらしい。ロバート・エヴァンスはその後も離婚と再婚を繰り返して結局7回も離婚したそうな。

こちらは映画化もされたエヴァンスの自伝。アリ・マッグロウとのいきさつに興味がありお買い上げした。

これはマックイーンの伝記である。ファン必携アイテムである。

ラグビーワールドカップなのでクリント・イーストウッドについて

ラグビーワールドカップで盛り上がっているので、クリント・イーストウッドインビクタス』を当然のごとく思い出した。1995年ワールドカップ南アフリカ大会における南アフリカ代表の活躍と、ネルソン・マンデラ大統領の願う国内の宥和を重ね合わせるという無茶な映画であった。同大会で日本代表がニュージーランド代表に147対14という歴史的スコアで大敗したのを耳にしたマンデラ大統領が驚くというシーンもあり、ああそんなことあったなと思い出させてくれる。

f:id:bosszaru21:20191024174221j:plain

クリント・イーストウッドは現代で最も重要な映画監督の1人だ。そして西部劇ファンにとってはこのジャンルを終わらせる決定的な作品『許されざるもの』の監督であり、あるいはそれまでこのジャンルを延命させた監督でもある。こういった作品群についてはいずれ言及することになるだろう。

『許されざるもの』のころのイーストウッドは、人間が他者とともにあることからくる避けがたい矛盾についてひたすら問いかけていたように思う。『パーフェクトワールド』、『ミスティック・リバー』、『ブラッド・ワーク』、『トゥルー・クライム』、『ミリオンダラー・ベイビー』、『硫黄島からの手紙』などである。しかし『グラン・トリノ』や『チェンジリング』のころから矛盾をそういうものとして淡々と描くようになったと感じる。人生とはこういったものだという受容、けっして諦念ではないなにかを感じるようになった。それは『アメリカン・スナイパー』でより顕著であったし、『ハドソン川の奇跡』で理不尽な追求を淡々と受け止めるトム・ハンクスも典型的であったように思う。『インビクタス』や『15時17分、パリ行き』といったバッドエンドが想定されない作品ではその肩の力の抜け方がはっきりする。我々は彼が亡くなるまで、こうしたスタイルの作品を観続けることになるのだろう。

神話の時代の西部劇『OK牧場の決斗』

先日はついにジョン・スタージェスを紹介してしまったので、続けてスタージェスでいこう。

bosszaru21.hatenablog.com


戦後から1960年くらいまでが西部劇の黄金時代であり、その中には内容も人気も抜群の、もはや神話とでも呼ぶべき作品がたくさん存在する。『OK牧場の決斗』はその一つであり、また数あるワイアット・アープものの中でも定番といってよい。もちろん落合信彦大先生のお墨付きである。大先生は、もう一つの定番であり神話である『荒野の決闘』について、我が愛しのクレメンタインという原題どおり女々しいと切って捨て、本作品は男っぽくて骨太だと評価している。まあ男っぽいというよりは、スタージェスは女性や色恋の描き方が下手だっただけという説もあるのだが、骨太であるのは間違いない。

ストーリーは肺病を患うギャンブラーであり元歯科医のドク・ホリデイ(カーク・ダグラス)が連邦保安官ワイアット・アープ(バート・ランカスター)とともに悪のクラントン一家を倒すといういたって単純なものである。本作の特徴はやはりこの二人のかっこよさ、付かず離れずのさっぱりとした友情であろう。そしてラストの対決はやや間延びしたアクションではあるもののスカッとする。しかし史実のワイアット・アープはそれほど善人でもなく、クラントン一家は普通の郊外の農場主といったとこであったらしい。まあどうでもいいことだが。

f:id:bosszaru21:20191019221845j:plain

もう一つ本作を有名にしているのが、フランキー・レインによる説明的すぎる挿入歌である。登場人物が荒野を移動するたびにこれが流れてきて、誰にでもストーリーが把握できる親切設計となっているのだ。特に冒頭の、青空のもと、荒野を三人の男が馬で駆けてくるシーンの♪O.K.Corral♪O.K.Corral♪はあまりにも有名である。なぜかバート・ランカスターの移動は馬車なのではあるが。


Gunfight at the O.K.Corral/Frankie Laine- Règlement de comptes à OK Corral (Lyrics)


さりとて個人的にはこれはスタージェスの作品の中でもそれほど好きというわけではない。またワイアット・アープものの中でも特に好きというわけではない。スタージェスによる後日譚『墓石と決闘』のほうがだいぶ好きだったりする。あるいはもっと極悪なアープが見れる『ドク・ホリデイ』とか。

とはいっても本作は定番中の定番であり、なにより落合信彦大先生推薦であるからして観なくてはならないのである。スタンダードとはそういったものなのである。