さよなら独身貴族 西部劇編

西部劇、戦争映画、時代劇について書いていくブログ。たまに書評。

ラグビーワールドカップなのでクリント・イーストウッドについて

ラグビーワールドカップで盛り上がっているので、クリント・イーストウッドインビクタス』を当然のごとく思い出した。1995年ワールドカップ南アフリカ大会における南アフリカ代表の活躍と、ネルソン・マンデラ大統領の願う国内の宥和を重ね合わせるという無茶な映画であった。同大会で日本代表がニュージーランド代表に147対14という歴史的スコアで大敗したのを耳にしたマンデラ大統領が驚くというシーンもあり、ああそんなことあったなと思い出させてくれる。

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クリント・イーストウッドは現代で最も重要な映画監督の1人だ。そして西部劇ファンにとってはこのジャンルを終わらせる決定的な作品『許されざるもの』の監督であり、あるいはそれまでこのジャンルを延命させた監督でもある。こういった作品群についてはいずれ言及することになるだろう。

『許されざるもの』のころのイーストウッドは、人間が他者とともにあることからくる避けがたい矛盾についてひたすら問いかけていたように思う。『パーフェクトワールド』、『ミスティック・リバー』、『ブラッド・ワーク』、『トゥルー・クライム』、『ミリオンダラー・ベイビー』、『硫黄島からの手紙』などである。しかし『グラン・トリノ』や『チェンジリング』のころから矛盾をそういうものとして淡々と描くようになったと感じる。人生とはこういったものだという受容、けっして諦念ではないなにかを感じるようになった。それは『アメリカン・スナイパー』でより顕著であったし、『ハドソン川の奇跡』で理不尽な追求を淡々と受け止めるトム・ハンクスも典型的であったように思う。『インビクタス』や『15時17分、パリ行き』といったバッドエンドが想定されない作品ではその肩の力の抜け方がはっきりする。我々は彼が亡くなるまで、こうしたスタイルの作品を観続けることになるのだろう。