さよなら独身貴族 西部劇編

西部劇、戦争映画、時代劇について書いていくブログ。たまに書評。

『若者殺しの時代』

若さは特権とか最大の資産といわれるが、若者が得する時代もあれば損する時代もある。もちろん個体差も大きい。本書は個別の事情は脇において、一般的に若者が得であったのは昭和後期から昭和の終わりくらいで、現代は損する時代であるとする。そしてその画期となった事象について述べていくというものである。近年跋扈するキラキラ女子とかパパ活女子が誕生した歴史的背景を知る上でも重要な一冊である。

まず1989年という年から。1月7日昭和帝が崩御となり、美空ひばりが亡くなり、消費税が導入され、天安門事件があり、宮崎勤が逮捕され、総理大臣は竹下、宇野、海部とめまぐるしく変わり、ベルリンの壁が崩壊し、坂本弁護士一家が行方不明などなど、というあとから見ると盛り沢山な1年であった。筆者はその中でも『一杯のかけそば』騒動を取り上げる。40代以上の人は覚えているだろうが、胡散臭い小噺が連日ワイドショーで取り上げられる異常な出来事だった。筆者はバブルの真っ只中で、あの物語の中にあったリアルに貧しかった時代を後に残していきたいと思った人がたくさんいたからであろうと書いている。

1989年は、その貧乏を伝えられる一番最後のところに来ていたのだ。テールエンドである。ここを過ぎるとたぶんもう意味がわからなくなるだろう、ということで、最後、僕たちは『一杯のかけそば』を賞賛して受け入れ、あっという間に捨てていったのである。貧乏を一瞬振り返って、でもその後二度と振り返らなくなった。

次に少しさかのぼって1983年。1970年代若者にとってクリスマスは家飲みしたり手編みのマフラーなどをもらう時代だった。しかし

「クリスマスを、若者に売れば、もうかる」とおとなたちが気づいたのは80年代に入ってからである。手編みのセーターなどを作らせてる場合ではない、と気づいた連中がいたのだ。そういう連中にみつかって、若者は逃げられなくなってしまった。

著者が1970年代の雑誌をかたっぱしから調べてもクリスマスの記事は6つしか見つけられなかったという。これらの多くは女性向けにおうちでいかに彼と楽しくすごすかという内容でまだ女性がリードするという雰囲気がある。これを決定的に変えてしまったのが1983年のアンアンの記事だ。そこでクリスマスはシティホテルに泊まって朝食はルームサービスでというものだ。いまからみればどうということはないが、クリスマスの商品化はここから始まったと著者は喝破している。

「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうするべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導し始める時期なのである。若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった。

一方男性誌はというと、ポパイが1978年から1983年まで、クリスマスの時期に「今年もらいたいモノカタログ」とかいう特集を組んでいたらしい。女性にクリスマスの時期にものをねだるなど今では考えられないことだ。1988年になりホットドッグプレスが「彼女へのプレゼントにこれをあげよう特集」を始める。男性誌女性誌に追いついたことでクリスマスファシズムが全面展開することとなる。男性誌はただのマニュアル雑誌になりさがった。恋人たちにクリスマスに消費させる文化のピークは1990年であったが、多少の揺り戻しはあっても定着した文化が壊されることはなかった。今やそれ以前がどんなだったか想像することすら困難だ。

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女の子がこっちが楽しいよと曲がるもんだから、そっちについていっただけなのだ。<<

1983年ディズニーランドが開園したが、「女の子の希望通りに動かないと間違いなくひどい目にある」という意味での聖地化が完了したのは1987年ごろで、クリスマスをめぐる騒動とパラレルだと筆者は指摘する。筆者はここで女の子が消費を主導するようになったことを繰り返し強調する。

女の子の好きなものが、世界を動かし始めたのだ。男の子はそれについていくしかない (中略) それで、やらせてくれるのなら、男の子はどこまでもついていく。1968年には学生運動をしているほうがやらせてくれそうだったから革命的理論を口にしていた。1987年にはロマンチックな世界だとやらせてくれそうだから、ディズニーランドへいったまでだ。

女の子の機嫌をうまくとらないと、相手にしてもらえなくなった。女の子は勝手にお姫さまにおさまってしまった。遊び場の掛け金を、女の子が上げたのだ。場が高くなると、結局、ギャンブラー本人の首をしめるのだが、女の子はそんなことは気にしなかった。

こうした消費社会の伸長と、パラレルな現象を著者はいくつか指摘しておりこれまた興味深い。おしんみたいな連続テレビドラマは1980年代末から凋落する。これは社会党議席の減少と相関している。それらを支えてのは戦争と戦後の復興という大きな物語とのことである。その物語が機能していた時代はまだ男が元気だった。

オスらしさを前に出せばもてるという幻想を、まだ誰も叩き壊してなかった、古き良き時代である。でもラブホテルからいかがわしさがなくなり、観念的清潔さに満ちたディズニーランドがデート場所になり、クリスマスが恋人たちのものになると、オスくささは無用のものになって、そして連続テレビ小説は見られなくなったのだ

こうやって女性の願望が最優先されてしまう社会が1990年くらいにできあがったのである。そして今、金がなくて結婚できない男性であふれ、そのアオリを食って結婚できない女性も増えている。女性が掛け金を上げた結果がこれである。もしかしたら近代民主主義と結合した資本主義の運命だったのかもしれない。いまさらどうすることもできないが、こういう経緯があったと知るのは悪いことではなかろう。