さよなら独身貴族 西部劇編

西部劇、戦争映画、時代劇について書いていくブログ。たまに書評。

表現の自由とは

今日はいろいろ疲れているので当たり障りないことでも。
僕はいわゆる表現の自由界隈とちがってある程度の表現規制はやむをえないと思う人間である。しかしどこまで規制されて、どこまで自由であるかの線引は極めて恣意的であり、おいそれと口に出せるものではない。だからなんとかトリエンナーレだかビエンナーレでも、昭和帝の写真を焼くなどまったく許しがたいが、撤去すべきとまではなかなかいえない。子供向けの車両図鑑に自衛隊のものを載せるべきかどうかも、まあ載せるでええんとちゃうの思ってしまう。

私は医療従事者であるのでインチキ医療の広告などに憤っていた時期もあったが、今は表現の自由の観点から、取り締まるべきともなかなかいえない。しかし現実に被害があるのだから規制したほうがいいのかもしれない。

もちろん度を越したヘイトスピーチは不快であるし、規制されるべきなのだろうけど、じゃあ何がヘイトスピーチなのか、どこからが度を越したといえるかは恣意的なものになるほかない。

とまあややこしい問題をはらんでいるので、とりあえずゾーニングでってことで停戦協定が結ばれているのが現状なのであろうが、自陣の領域を増やしたい人々は自分の都合で自由と規制を使い分けているといったところであろうか。自分はそういったものから距離をとっていたいが、自らの陣営のためにソーシャル・ジャスティス・ウォーを続けるひとたちのエネルギーには素直に感嘆したりもするのだ。