さよなら独身貴族 西部劇編

西部劇、戦争映画、時代劇について書いていくブログ。たまに書評。

ビリー・ザ・キッド meets サム・ペキンパー『ビリー・ザ・キッド21歳の生涯』

サム・ペキンパーについてさらに書いていきます。

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ビリー・ザ・キッドは19世紀末のアメリカのアウトローで、フロンティアが消滅した西部で、事業家タンストールにガンマンとして雇われ、リンカーン郡戦争で活躍した。こういう農地、牧草地をめぐる抗争は、もはや開拓地のない西部では頻発していたものと思われる。

ビリー・ザ・キッドと西部劇といえば定番の一つなのであるが、ポール・ニューマンの『左利きの拳銃』と、わりと最近のブラット・パックを配した『ヤングガン』くらいしかぱっと思い出せない。ちなみにビリー・ザ・キッドは右利きだったらしい。あと『ヤングガン』は最近といっても30年も前で、もちろんイーストウッドの『許されざる者』よりも前の作品だ。

閑話休題。ペキンパーの『ビリー・ザ・キッド21歳の生涯』はビリー・ザ・キッドもので一番好きな作品だ。ペキンパーにしてはバイオレンスは控えめであるが、スローモーションはばっちりでてくるので安心してほしい。前回、前々回とペキンパーは時代に乗り遅れた男たちについて撮ってきたと書いた。本作も例外ではない。

ジェームズ・コバーン演じるパット・ギャレットはもはやアウトローでやっていける時代ではないと悟り、時流に迎合する形で保安官となりかつての仲間であるビリー・ザ・キッドを追跡する。一方はビリーは相変わらず無軌道なガンマン人生を生き続ける。

この時代に迎合したギャレット、取り残されるビリーの対比が切なくて愛おしい。ギャレットにしてもいまや保安官であるものの、ビリーやビリーが体現する価値観にシンパシーを捨て切れないのである。この二人を見つめるカメラはとても優しい。そしてボブ・ディランの歌が感傷を闇雲に盛り上げていく。


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観る者はギャレットがビリーを殺すことを知っており、物語は終末に向けて淡々と進んでいくのだが、音楽も担当したボブ・ディラン語り部のようなポジションで傍観者を演じることで、観る者はストーリーに入り込むことができる。

ギャレットを演じるコバーンは相変わらず最高である。『夕陽のギャングたち』、『戦争のはらわた』と並ぶベストロールのひとつだ。

クリス・クリストファーソンは実質的な初主演作だ。後年はB級アクションの人というイメージだが、本作は悠揚迫らぬ威厳と若さをもって歴史に名を残すアウトローを見事に演じている。いま調べたら、クリストファーソンの作品で覚えてるのは『コンボイ』とか『ガルシアの首』とかペキンパーだけだった。

他にもジェイソン・ロバーズ、L・Q・ジョーンズ、ハリー・ディーン・スタントンらが脇を固める。本作は実質的にはペキンパー最後の西部劇となったが、ほどほどの暴力と叙情性がうまくバランスした傑作である。一番好き。