さよなら独身貴族 西部劇編

西部劇、戦争映画、時代劇について書いていくブログ。たまに書評。

『感じて、ゆるす仏教』さらっと感想

ニー仏こと魚川祐司さんと、日本を代表する高僧であるところの藤田一照さんの対談。話し言葉主体なので読みやすいがけっして平易というはわけではない。

作中で「 命令してコントロール する系の仏教と、「 感じて、ゆるす系」の仏教といった対比がたくさん出てくる。前者は厳しい苦行をたくさんするもので藤田師はガンバリズムと呼んでいる。後者はその反対である。藤田師は前者をずっとやってきたけど後から思えばそれは必要なかった、後進には回り道しないで後者でやってほしいという観点から話している。魚川氏はガンバリズムで大成した禅僧の例をあげつつ、ガンバリズムも必要なのではないかと指摘する。

自分の体験に照らしてみると、私は勉強など本気になるとものすごい量をこなすタイプでそれを継続するとあるとき急に次のステージに進むということを繰り返してきた。しかし後から振り返ると要点は数箇所でそれ以外は余計だったと気づく。後に続く人たちには回り道せず最短距離でいってほしいと思う。しかし無駄に思えた作業も本当は必要だったのかもしれない。後進に要所だけ教えてうまくいくものではないのかもしれなくて、彼らも彼らなりの無駄なステップを踏む必要があるのかもしれない。

ありのまま系仏教、言い張ってる系仏教という言葉をお二人は多用するが、藤田師や中国の歴史的な禅の高僧のように厳しい思索の末に一周回ったのではなく、最初からそれらを回避してありのままでよいと言い張っているだけと批判しているのである。

仏陀の教えは何周も回った末のものであろう。であるとするなら仏陀ならざる私たちはせいぜい2周くらいしかできないかもしれない。そうすると私たちは1周できてない人々をどれほど論難できるであろうか。そういうことを藤田師はいいたかったのかもしれないなと思った次第である。

もちろんお二人の議論は私の浅薄な理解を越えているものと思われるので、ぜひ本書を手にとっていただきたい。語り口は易しいものの、本物の知性のバチバチしたやりとりをみることができる。

さらに本書のもうひとつの主題(と私が勝手に思っている)、妻帯が許される日本の仏教の上座部に対する優位性についての指摘は非常に興味深い。

魚川氏 しかし、 現代の日本では 事実 として僧侶の多くが結婚している わけ です。 それをネガティブに 捉える 人 たち は いる と 思い ます が、 私 として は、「 だからこそ いい」 という側面 も、 同時に 存在 し て いる と 思う ん です ね。 ただ、この「 僧侶が結婚して家庭 を持つことのポジティブな側面」 は、一般向けの仏教書などでは、まだあまり語られていてないと 思っています。

藤田師は家庭をもつことは修行の幅を広げたと述べておられる。こういう観点から僧侶の妻帯を考えたことはなかったな。しかし妻子をもつことを苦行のように語るお父さんはたくさんいるので、僧侶にとって修行であってもなんらおかしいことではない。それをふまえて藤田氏の奥様やお子さんとの関わり、それがもたらした修行や心境の変化が具体的に語られまことに面白い。

というか2人でおでかけしているときに藤田師が本を開いたら奥様に怒られて反省したというエピソードは刺さった。私はそれでなにが悪いのって思ってしまう人間なのでちゃんと反省している藤田師はさすがだなあと思った。