さよなら独身貴族 西部劇編

西部劇、戦争映画、時代劇について書いていくブログ。たまに書評。

千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』の感想。

新刊『物語は人生を救うのか』が話題の千野帽子さんの前著。けっこうおすすめされていたので読んだのだが、新刊に備えておさらい。平易に書かれていて、一気に読めるのに奥が深い。以下、ざっとして私の理解にもとづく感想文。

一貫性を担保するものとしての物語を人は必要とする。
その内容は日常的なことと非日常的なこと、普通の状態と報告するに値する普通ではない出来事にわけられる。
そして語り手は常に選択を迫られる。なにを語り、なにを語らないか。

ひとは因果関係を知りたがる。因果関係はストーリーをスムーズにする。スムーズなストーリーは受け入れやすい。
因果とは秩序であり、秩序は安心をもたらす。だから因果関係のある物語が必要になる。

因果がわからない状態が続くと苦して不快だ。逆に納得した感は脳に快感をもたらす。
自分の身になにか理不尽なことがおこったとき、実存的な問(なぜ他の誰でもない私が?)わいてくる。それに物語はときにむりやり答えようとする。

不本意な状況を理解するために過去にさかのぼって、理解できるような事情でおこったのだと納得したい。これを筆者は感情のホメオスタシス、物語の収支決算と呼んでいる。
平衡状態、定常状態への回帰をめざて無理矢理でも作られるのがストーリー。物語の着地点は通常は、なにも特筆すべきことがない状態である。
しかし「なぜ私が?」と問う状態はまだ自分が人生になにかを期待している。そこから「人生が私になにを期待しているか?」へ変わらないといけない。公正世界仮説やなんらかの信念にもとづいてこうあるべきと期待したり、執着していると不幸になる。

それはときに無自覚で妄想的シミュレーションにすぎない。これをいったんやめることが大事である。

という感じで話が進んでいって、親鸞やジェームズ・ジョイスなどを引用しつつ、最後は自分が今までの人生で組み立てた物語を捨て、ストーリーメイキングをやり直し、生まれ直すことと結んでいる。

最後に読書案内までついていてとても親切だなあと想いました。