さよなら独身貴族 西部劇編

西部劇、戦争映画、時代劇について書いていくブログ。たまに書評。

呉善花『韓国併合への道』を読んで

なにやら例の隣の国とのゴタゴタがかつてないほどにエスカレートしているようなので積ん読になってた本書をようやっと読んだのである。知日派の韓国人(現在は日本国籍)である呉善花氏による韓国近代史の新書。おすすめしている人がけっこういたので買ったのだが長らく買いっぱなしになっていた。結論からいうともっと早く読むべきであった。なんせ新書なのでさらっと読めるので、韓国のことなんかに時間を割きたくないという嫌韓な諸氏にもおすすめできる。

まず李氏朝鮮(以下、李朝)がいかにグダグダだったかについて。まあそういう話は今までなんとなく見たり聞いたりはしていたが、ここまで掘り下げて解説しているものはあまりなかったように思う。硬直した文官支配(とそれに伴う脆弱すぎる軍隊)、徹底した分断統治華夷秩序におもねりまともな政治がない甘えた体質、国際情勢についての無理解、国益よりも派閥政治、金玉均ら開化派官僚の弾圧などなど。

こういった情況なので日本がいかに朝鮮の自主独立をのぞんだところで、清や露にいいようにされるのは当時としてはいかんともしがたく、日清日露戦争を戦ってまで韓国を保護国化せざるをえなかったというのはわからんではない。もちろん日本側にも不手際だったり、方針が二転三転したこともあったようだが(特に甲申事変の前後)。

保護国となったあとに反日義兵闘争などがあったことは知識としては知っていたが、李容九らの一進会が日韓合邦運動を進めていたことはよく知らなかった。しかも無視できない数の会員がいたとのことである。彼らは近代的な民族国家(ネーション・ステート)よりも多民族国家のなかで民族の尊厳が保たれることを望んだらしい。これは日本の大アジア主義者とほぼ同じ発想であるし、じっさい彼らは内田良平らとも交流があったという。今どきのネトウヨは大アジア主義など毛嫌いしているが、昔の右翼はいまとはだいぶ違う考え方だったようだ。
近代民族国家などできそうもなかった韓国で保護国となるなら、反動的で文化的にも遠いロシアよりも日露戦争を勝ち抜いた日本を盟主にというのは少なくとも一部の人々には自然なことだったのだろう。

なにはともあれ、一進会はそのように、独自の指導原理もなければ連帯への指向すらもない、韓国政治世界の絶望的な状況を背景に台頭してきたことに注目しなくてはならない。

とはいっても日本とて明治維新のさいには様々な勢力がいたわけである程度のところで一致団結できたのは幸運だったのかもしれない。

それまでのアジア的な社会からいきなり近代的な社会へ突入せざるをえなかったアジア諸国では、大衆の下からの支持をもってしての近代化は、まったく不可能なことだった。
ただ日本は、上からの近代化によって社会にもたらされる混乱を自力で乗り越えることができた。しかしだれが考えても、当時の韓国では、近代化がもたらすであろう社会的な混乱を、自力で乗り越えることなどできるはずもなかった。

このような情勢下、日清協約、第二次日露協約を経て日韓合邦へと至るのである。
併合後3.1独立運動のような反乱はあったものの、文化的に統治していたため西洋の植民地のような武力による威圧はほぼなかった。その3.1独立運動にしても例によって知識人たちがいまいちで横の連帯が生まれずあっさりと鎮圧されたらしい。

本書を通じて李朝大韓帝国両班、政治家、官僚、知識人らは一部を除いて、事大主義、頑迷な儒者、反動主義者などと描かれるが、それって今も底流にあるのではないかと思わされる昨今の情勢だなあと思ったのである。他国民からはあまりにも合理性を欠いているようにみえる彼らの行動も、本書を読んだあとでは少しは理解できるようになった気がするのだ。