さよなら独身貴族 西部劇編

西部劇、戦争映画、時代劇について書いていくブログ。たまに書評。

『途上国の旅 開発経済のナラティブ』読書ノート

著者らは世界銀行ODAなどで途上国の開発にかかわるなかで、初期条件が異なれば処方箋も異なるという当たり前の事実をナラティブベースでつまり、新古典派などのモデルに依らずに語る。11カ国の物語は非常に多様でその意味がよくわかる。
経済発展は政治制度に規定される。つまり技術革新をどう取り込むか。たんなる輸入代替工業化は汚職の温床となる。
韓国、日本、シンガポールのように同時に輸出産業も育成しないといけないが、マレーシアやブータンのように一次産業で発展した国もないわけではない。

マレーシアは比較的うまくいった例。
1965年シンガポール離脱し、プランテーションと工業が基幹産業となる。

一次産品の増産をしても数量は増えず価格が下がるだけであり、成長には工業化が必須だが先進国との生産性の差は歴然としていた。
よって輸入代替工業化しかないが、国内には工業化のための資本家がいないために、低所得、低貯蓄、低投資、低成長となっていた。」

しかしマレーシアの官僚はマラヤ大卒の優等生だった。
ゴムは合成ゴムとの価格競争にさらされ、錫は枯渇していた。
新たに土地を開発 稲作に転じるという道もあったがゴムとパームオイルに賭ける
生産性の高い樹にうえかえることで価格低下に対応。さらにコミュニテインフラや、共同所有の夢を提供した。
モータリゼーションにより供給サイドに問題はなかった。
投入財で輸入しなければいけなかったのは肥料くらいだったのが幸いした。緑の革命もおこなわれた。
保護政策による輸入代替工業化はおこなわれなかった。
のちにサバ、サラワク沖に油田発見。
広大な未開発の土地、すでにインフラストラクチャが存在したことが成功の要因。


シンガポールも成功例。
自由港としての地位をうばれないため、資本をマレー人に奪われないために独立。
インドネシアの政情不安、イギリス海軍の撤退など不安要素多数あり。
まずイスラエルをモデルとして軍隊を整備。英海軍基地は造船所、リゾート、国際空港、シンガポール大学になる。
市場規模は小さいものの成長のためには工業化が必要だった。
すでに賃金水準が高く労働集約的な繊維産業も輸出にはむかない。
したがって最初から資本集約的で技術水準の高い輸出志向型の産業をめざした。
まず多国籍企業を誘致。労働者、インフラの質はもともと高かったので可能だった。
さらに国際金融市場としても発展。
当時ベトナム戦争中でライバルの香港は脱落していたのが幸いした。
また先進国の多国籍企業が海外展開しはじめた時期でもあった。


韓国もうまくいったほうだろう。
独立後、米韓相互安全保障条約にもとづく援助資金の流入
中間共同体は破壊されており個人が国家と対峙しないといけない
1961年パク・チョンヒのクーデター 指導者たちはエリートではなく農村出身であり、留学帰りを含む若いテクノクラートの登用できた。
これまで輸入代替工業化と労働集約型の輸出産業で成長してきた。
企業の財務も国際収支も脆弱であった。
まず軽工業の促進、ある時期から重工業を立ち上げる。
強力な政府の介入、積極的な外資導入、格差よりも経済成長の優先の政策であり、工業が優先されたので緑の革命は1970年代。
なりふりかまわない輸出振興、重工業たちあげのために日本と国交回復、重化学工業をつうじて財閥と国家が一体化。
新規プロジェクトに出資できる財閥は限られている、必然的に政府との結びつきは強くなる。
パク政権で民営化された銀行を使って財閥をコントロール、優先順位の高い分野には低利でかしつけるといった資金誘導。
1979パク大統領暗殺 その後、銀行は民営化された。
政府の介入の度合いがかなり強いがそれがうまくいった例であろう。


インドネシアは資源の呪いの例。
1975年プルタミナ危機は資源の呪いの現実化。
スハルト大統領は独立戦争の軍人に学者グループを組織。
投資銀行などからなる国際金融顧問団を設立、公的機関はめんどくさいのでプルタミナの債務を中央銀行が肩代わりして中央銀行の名前で借り換える。
買掛債務のヘアカット、進行中のプロジェクトの中止など危機の収拾を通じて対外債務管理システムの構築に成功。
並行して緑の革命、石油依存体質からの脱却もはかられた
資源の呪いとは、
先進国の工業はたえず生産性が向上するので工業製品1単位あたりに必要な原材料は減る。すなわち原材料輸出と工業品輸入の交易条件はたえず悪化する。
レントシーキングにより政策が歪められる。一次産品は価格変動がはげしく、またプロシクリカル。
といった事象のこと。


アルゼンチンポピュリズムで失敗した例。
土地所有制度の確立した国では牧畜業はたえず生産性の向上が必要であるのに、ペロンが輸入代替工業化をすすめるなか、輸出産業は無視された。
農牧畜部門の利益は低く抑えられ、また過小投資のために生産性は低迷した。
農場主はパリやブエノスアイレスに居住し農業に関心は低い。また政情不安で投資意欲も乏しい。


ガーナは偉大な指導者のおかげでなんとなった例。再現性はなさそう。
指導者エンクルマのもと1957年独立
社会的政策、プレステージプロジェクトが優先され経済発展のための予算は削られる
社会主義陣営への接近
1966年クーデター
1979年ジェリー・ローリングスによるクーデター
1981年ローリングス二度目のクーデター
為替切り下げ、カカオ業者の復活
国営企業の整理など財政改革
従属理論からの開放とワシントン・コンセンサスの受け入れ


スリランカ民族や宗教の多様性という難しさの例。
1948独立
シンハリ人;多数派、仏教徒
タミル人;エリートに多い 1970年代から東部、北部へ移動し独立運動をおこなう。
コリアー=ホフラー・モデル;紛争の発生要因は資金源の有無。一次産品、ディアスポラ
エイミー・チュア 華僑印僑モデル 市場支配的少数民族の存在。
資本家階級、都市労働者と農村の格差拡大。教育やグローバル化もそれを促進する。
民族間の対立を抑制する制度設計や理念が重要。
マレーシアは経済成長の増分を経済的劣位のマレー人に優先的に分配したが、格差是正には経済成長が必須であった。


バングラデシュ
、輸入代替化の例。
ガバナンスの悪さ、自然災害など成長阻害要因が多かったが。
緑の革命、繊維縫製業の発展、マイクロファイナンスなどで成長。
小規模感慨事業の普及により遅れはしたが緑の革命がおこった。
1980年代の構造調整、貿易自由化と為替切り下げも効いた。


ネパール、水資源という最大の武器を使えないという不運。
独立を保ったヒンズー国家であり、経済的価値がなく緩衝地帯として存在しえた。
環境破壊という批判のもと唯一の資源といっていい水力発電を活用できず
緑の革命も中途半端のままに終わる。
多民族国家であり中央集権的な政策は嫌われる、かといって各州が経済的に自立できるわけでもないという中途半端な情況。


ブータン、ネパールとは逆に水資源でうまくいって例。
インドの支援のもと大規模水力発電プロジェクトを遂行。
外国人労働者外資流入をまねくので、急速な成長は望まず。
森林伐採も急がない。
文化的拠り所を大切にしている。でなければシッキムのようにインドに併合される